正式でない暮らし〜古着編

正式でない日記、にお越し下さりありがとうございます。

 

正式でないのは、果たして自分だけなのか?と、疑問になることが、実はけっこうあるのです。

 

例えば、買い物。

 

自分は服、とか、あんまり買わない、というか、肌着とか、靴とか、靴下以外は、基本的に古着とか、新古品とか、どこかに欠陥があって安く出ている新古品、とか、そんなのばっかりです。

 

いま着ているTシャツなぞは、新古品で三百円なのですが、同じものを多分、四十枚は買ったと思います。

 

それを何枚か、回して、洗濯して、使っています。年に一枚くらいはダメになります。

 

ダメになるまで使って、Tシャツを成仏させる、というか、そんな状態です。

 

夏場ですと、そのTシャツを回しているだけですから、殆ど、ユニフォーム感覚です。

 

ユニフォームもない訳ではなくて、五百円とか、それくらいで買ったサッカーのクラブチームのもの、とか、代表のものがあって、夏場は使います。

 

ただ、最近、サッカーのクラブチームの、人様のユニフォーム姿をみると、何となく、違う?んではないか?と思うことが、実はあって、あんまり着ない様になりました。

 

何か、人様のユニフォーム姿が、合っていない?という感じを受けることが多いのです。

 

何というか、例えば、大きなデジカメとレンズ姿で歩いている人が、なんとなく、違うんではないか?と感じるのに近い気もするのです。

 

人様は自分の鏡、というか、考え込んで?しまうことがあるのです。

 

スーツ姿で大きなデジカメとレンズを持っている人が、何か違う?と感じる様に、自分のユニフォーム姿も違うのかもしれない?と思ってしまうのです。

 

それと、サッカーのユニフォーム、と、人様のカメラ姿、とを結びつけて考えるのは、おかしいのかもしれないのですが、その様に思うことがあるのです。

 

カメラ姿の話になってしまいましたが、そういう意味では、カメラも、持ち方とか、持つ人は、ファッションというか、コーディネートも考えないといけない時代なのかもしれません。

 

Tシャツの話に戻ると、もう、二十年近く、そのT新古品のシャツを着まわしているので、自分には当たり前になってしまったのですが、新古品や、中古品ばかり着ている生活をしないとならない、というのは、どうなんでしょうか?

 

ただ、新古品で三百円なのに、品物自体は、良いもので、最近の日本の新品のシャツよりも、しっかり作られていて、新品よりも実用になるのです。

 

ちなみに、そのTシャツは、新品で買うと、三千円以上するのだそうです。日本製ではなく、米国製です。縫い方なぞ、よく見てみると、ちょっとハイテクなんです。あって然るべき縫い目がなかったりします。

 

こうなってみると、正式な買い物ではないのに、正式に新品で買ってしまうより、経済的にも良かったりします。

 

そのTシャツを買っていたお店はなくなってしまいました。

 

その後、新しく、古着屋さんが出来たのですが、新品と較べて、物凄い高いお値段なのです。品がいい、という訳ではなく、状態も?というものなのに、古いと高い、とか、そうなっているのです。

 

しかも、単なる高い古着なのに、ヴィンテージ、という言葉が、お店のなかでは散見されます。

 

こうなってみると、古ければヴィンテージ?と、何か、基準だけ勝手に作られている感じがするのです。

 

もちろん、そういうお店では買わないのです。新品でも、品物が良くて、長く使えそうであれば、新品を買うのです。

 

そうなると、もう、正式でない物まで、ヴィンテージとされて、正式でない暮らしをすることが、却って難しくなっている様に思えます。

 

地方都市のフリーマーケットに、たまたま行った事がありますが、古い、というだけで高いのです。都内のフリーマーケットでは、そういう出店は、業者さんの一部です。売れないですし。

 

そうなると、古着ならヴィンテージで高い、というお店は、地方都市のフリーマーケットの感覚を、都内に持ち込んだお店なのかもしれません。

 

古着で慎ましい生活をしていたつもりなのに、慎ましい=正式でない暮らし、が、脅かされている気がするのです。

 

慎ましい生活も根こそぎにしよう、という残酷な市場、騙されない様にしたいと思うのです。

 

きょうの写真があるとしたら、こんな風でしょうか?

 

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シーズン中は高いですが、季節外れの真っ当なお値段はこんなものです。

 

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